どこまでも地球!

2003年の夏。
地球の反対側、南米ペールーまで行った!
アンデス、インカ、コンドル、フォルクローレ
かつての黄金時代を求めていった先はどこまでも...

 行脚編1!!
 南米への渡航に、日本から直行便は出ていません。燃料が保たないので、米国内を経由、燃料補給して飛ばなくては行き着けないのだそうです。それ程遠い南米・・・・。
 今回はコンチネンタル航空利用で、飛行時間は乗り継ぎ時間を入れて、約20時間。私の同じ乗り物で移動する最長記録は、中国の汽車旅で北京→昆明間の約52時間(の二等寝台)。これに比べれば半分以下の時間ですが、それでも長い。しかも、成田→ヒューストンの飛行機は満席とかで、約12時間、N嬢と離れ離れに座らされてしまいました。最近は何の規則か(保安上でしょうか?)、空港ではツアー客でも個人チェックインが一般的になっていますが、何とも面倒臭い。しかも並んで座れなければ二人で参加した旅行でも、ツアー=団体旅行の利点が無い。もし、これが新婚旅行での参加だったら、もっと憤慨してしまう所です。
 出発前はN嬢と打ち合わせをする暇が無かったので、往きの時間でこれから渡航する地への思いを語ったり、何だカンダと楽しく過ごす積りでいたのに・・・・。それなのに、3人掛けの真中の席だった私の右隣は、もの凄い巨漢の外人で閉口しました。普通のデブ、というクラスではなく、お相撲さんみたいな感じ。足や腕が椅子一コ分のエリアから余裕ではみ出していて、私のテーブルを腿で押し上げてくれたのも、一度や二度ではありませんでした。でも、反対の左隣の方は、ヒューストン在住の日本人で、短い時間でしたが話が弾み、とても面白かったので、それだけが救いでした。帰りは隣席が誰であろうと、疲れで寝てしまうのがほとんどなので、あまり有り難味を感じない可能性大。やはり往きが肝心よねえ、と思った、旅路の初めでありました。
 
 行脚編2
 ペルーで最初に降り立った地、首都・リマ。
 リマでの宿泊数は旅程中一番多いものの、リマ入りがいずれも夕刻か、若しくは夜間の為、日中のリマ滞在は、実質一日しかありませんでした。しかも、ペルー到着翌日のリマ観光は午後からで、午前中はフリー。旅行社側の意図としては、前日の疲れをこの時間で落としなさい、ということかと思いますが、日程表を見ると、リマの街を自分の足で歩けるのは、このフリータイム以外に無い。普通、渡航地到着翌日というのは、まだまだ現地や現地人に対する警戒心や緊張感も手伝って大人しくしているものなのですが、後でその時動かなかったことを悔いるのは明らか。「次」の機会が一体何時になるかと思うと、やはりジーッとしているのは無い。うー。家人からも注意を受けていることではありますが・・・、無理をしてはイケナイことは解っちゃいますが・・・・。ここは一つ、N嬢に相談してみることにしました。N嬢が行かない、と言ったら止めようかな。この時点では、私にはN嬢が、こういう場面でどういう反応をしてくれるタイプなのか解りませんでした。どちらかと言えば、私は同じ時間が与えられれば、より多くの場に足を踏み入れることに価値を見出すタイプ。いくら名品が揃えられている美術館でも、とても一日中足止めを喰らっているタマではありません。それに、移動も歩くとなると、私は可也の距離をズンズン行ってしまうことが必至で、もしN嬢が歩くのを好まない人だったら、嫌われてしまうかも・・・。何せ、十ン年のブランクがある私達。ガイドブックを広げてみると、ホテルが位置する地区は、所謂旧市街(セントロ)から少し離れている。主だったスポットは、午後から連れて行って貰えるだろうと踏み、時間的制約も考えて私が少ない選択肢から選んだのは、中央市場と中華街。サテ、この私の申し出にN嬢はどう来たか。ガイドブックの地図を、指で這わせて距離を測った後、「いいんじゃな〜い。行ってみようよ。」有難う!ということで街歩き決定、となりました。
リマの中華街 DIMSUNは点心の意味
オート三輪
 
 行脚編3

 リマでフリータイムを利用して出掛けた、中央市場と中華街。市場は、人々の生活に一番直結している場所として、見物するにしても、写真撮影をするにしても、侮れないスポット。ただし、ツアーだと治安うんぬんで、観光から避けられてしまうことも多いのが残念。そこであえて選択した次第。
 中華街は、世界中の主だった都市には大概存在するので、旅先で時間があれば、必ず立ち寄ってみることにしています。世界中にネットワークを持つ中国人社会は、個人的に大変関心を持っています。歩いて行く途中でバスの発着場や、立派な国立図書館をカメラに納め、ガイドブックには載っていませんでしたが(こういうモノに出会えるから、街歩きは好き。)中央市場とは別の、日用品の屋台が軒を連ねる市場などを「発見」しながら、軽く歩いて来ました。中央市場も中華街も、日曜日だったということもあり、思ったほどの賑わい振りではありませんでしたが、異郷の地に着いたばかりの者にとっては、心理的な疲れも溜まらず、具合が良かったと思われます。満足感を残しながらも、余裕を持ってホテルに帰ってきた私達。私一人だと、もっとギリギリまで長居をしてしまったかも知れませんが、誰かと一緒だと、そういう自分に歯止めが利いて、誠によろしい。でも、そこで終わらないのが私。集合まで未だ時間があると見るや、ホテルの近所にある公園へ足を運びました。最初の街歩きで少し気持ちが緩んでしまったのか、今度は「行かない」と言ったN嬢を置いて、私一人で行ってしまいました。もちろん、一人で歩く時も、自分なりには警戒心一杯でいるのですが、N嬢、呆れたか知らん・・・。さすが、N嬢は無理をしないことを知っている大人だなあ、などと、反省らしきことはするのですが、私自身も、止められない・・・。やっぱり家人が心配するのも、無理ないか。ところが、休日の公園に憩う市民の寛ぎショットが撮れたヨ、などと私が話すのを後で聞いたN嬢、「アタシも行けば良かった〜。」とのたまっていました。
 
 行脚編4
 やはり初めて訪れる国ならば、先ず首都は見ておきたいもの。リマはブラジルのリオ・デ・ジャネイロと並ぶ、南米大陸の大都市。16世紀から19世紀初頭まで、スペインの植民地として、その圧制に苦しみ続けて来たペルーですが、数々の困難を潜り抜けた末、首都に残されたコロニアルな建築物は、文句の無い美しさ。建物を観るのは好きなので、ツアーで観光したアルマス広場(ペルーには「アルマス:武器」とか「マヨール:大衆」と名の付く広場が多い。でも大抵は街の中央に位置する為か「中央広場」と訳してあるガイドブックが多い)を取り囲むペルー政庁(フジモリさんも大統領時代はここで執務)や、リマ市役所、カテドラルだけでなく、もっと「ペルーバロック」と称される建築を堪能したかったなあ、とこれは心残りとなりました。リマに点在する博物館も、黄金博物館しか見学出来なかったのは、時間的制約があるにしても、これ又心残り。しかし、半日では限界があるので仕方無し。それに、不満ばかりのリマ、ということでもありません。ツアーでスーパーに連れて行って貰ったのは、中々面白かったです。
 現地ガイド嬢のお薦めに従い、皆ガバガバとお菓子や水(高山病対策には、大量の水分摂取が有効。)を購入。私もいくつか食料や水を買ってみました。紫トウモロコシのアメ(でも、色が紫というだけで、別段味がトウモロコシという感覚は無し。)、紅茶やコカ茶のティーバッグ等々。コカ茶の「コカ」は、もちろん「コカイン」の「コカ」です。インディオは、コカの葉を噛んで空腹感が紛らわせ、寒い中での労作業をこなす原動力にしているといいますが・・・・。一応、最近の税関も厳しくなったそうで、麻薬精製には全く用を成さない量しか入っていないコカ茶も、見付かれば没収になると忠告されました。変な話しですが、没収されるかどうかは「運」の有無に左右されます。が、もし沢山買っても万が一、と考えてあまり「コカ製品」には手を出しませんでした。その代わり、高山病対策に、と現地では毎日のようにコカ茶を飲んでいましたから、まあ、郷に入れば郷に従うのであります。
市場の野菜コーナー

 言語編
 南米の大半がそうであるように、ペルーの公用語はスペイン語です。その他、ケチュア語、アイマラ語など、インカ時代からの言語も使われていて、この国で話されるスペイン語にも影響をおよぼしていることも、特徴でしょう。英語が殆ど通じないのは、私レベルの者でも辛いこと。英語と言えば何故か今回、ツアーの方から「英語が上手そうですネ」と話し掛けられました。その場ではもちろん、オール日本語で話していたのですが・・・。はてさて同じ状況下で中国語が・・・・、と言われたこともあるのですが、私の日本語、変なのでしょうか??話せないよりは、話せるように見えるだけでもいいのかな。果たして喜ぶべき事態なのか、何なのか、解釈に迷うところです。
 以前、イタリアとメキシコの友人が、各々の母国語、つまりイタリア語とスペイン語で堂々と会話が続いているのを見て、羨ましいと感じたことがありました。彼らに聞きますと、一部不明な単語はあっても、大体意味は判る、とのこと。両言語の相似性云々、ということもあるのでしょうが、案外会話なんてそんなものかも、と思わせるエピソードです。言葉は、人間がコミュニケーションを計る為に使う道具、として気構えない姿勢が、彼らにはあるのでしょう。対して単一言語民である日本人は、どうも言語習得に頭でっかちで、文法重視だから中々上達しない、とは大分以前から指摘されています。何か一ツでもヨーロッパの言語を会得していると、コミュニケーションの幅も、少しは広がるか知らん。会得は無理でも、せめて数(1〜10)と誉め言葉(綺麗とか、美味しいとか)、挨拶言葉を覚えておけば便利ですが、私の場合、それすら怪しいので笑顔で誤魔化すのが、せいぜい切り札と言えるでしょうか。現地の方とのコミュニケーションも買い物も、言葉が出来ればもっと楽しくなる筈なのですが、ペルーでも相変わらず切り札ばかり使っていた私です。しかし相手もさる者。例えば買い物のシーンならば、値段が負からない時、こちらが手変え品変えまくし立てても、我々によく似た顔をしたインディオのオジチャンやオバチャンは、とても悲しそうな表情をして、気弱な私に訴えます。元来交渉事を不得手とする私は、そこで折れてしまうのが関の山。お互い言葉が通じない者同志、顔で会話をしていたのでした。案外会話なんてそんなものかも、であります。
          
リマのスーパーマーケット
ORO飲料のキャンペンガール

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