どこまでも地球!

2003年の夏。
地球の反対側、南米ペールーまで行った!
アンデス、インカ、コンドル、フォルクローレ
かつての黄金時代を求めていった先はどこまでも...

 プロローグ!!
 よく考えてみると、結果的に4回も海外渡航をした昨年。平素「旅の余韻に浸る余裕が必要だから、海外旅行は年に2回も行けば充分」と言っているクセに、であります。まあ、昨年は半分以上は旧交を温める目的が入ったものでしたが・・。しかしこんなコトばかりしていて良いのだろうか、という気持ちが頭をもたげるのも、最近では毎度のこと。行きたいは行きたい、観たいは観たいけれどねえ・・・、というのが、複雑にして正直な気持ち。それでも、手っ取り早く日常からの脱出がはかられ、色んなモノを観たいという欲望や刺激も満たされ、ついでにストレス発散にもなる旅行の習慣は学生時代以来のこととて、そう簡単に返上出来るものでもありません。以前程ではなくなりましたが誰がしがどこそこへ行く、行って来た、などという話を聞くとジッとしている自分が何だか勿体無いような気になってしまうのです。
 とは言え、海外旅行に関しては、2003年はSARS騒動と、イラク情勢等々が絡み、全般的には渡航を手控える傾向が見られたようです。ツアー旅行の最初の難関と言えば、催行が決定するか否か、ですが、旅行社も沢山商品(=ツアー)を並べなくては商売にならないし、大変です。今年は情勢が情勢だし、中々ツアーも決まらないし、で旅行は行かなくてもいいかな、と思わなくもありませんでしたが、どこかへ出掛けて、その楽しい思い出を糧に、これから迎えるであろう繁忙期を乗り越えなくっちゃ、という気持ちが勝ったのでした。それでも、参加するツアーが決まって、お金も払ってしまわないことには、心も揺らぎます。早く落ち着きたい〜、などと思う日々が続きました。

 パートナー編
 やはりこの夏も何処かへ、なーんて思ったはイイものの、何時でもどこでも良い、というご身分では無い我が身。予算や、旅行日数、もちろん今行きたい!と思う行き先かどうか、ということもあります。「次は絶対ココ!」などというこだわりや思い込みが無いと、こういう時には困ります。中々難しいものです。半ば諦めながら探し直した末、決定した行き先はガラリと変わり、南米はペルーとなりました。
 ペルー。フジモリさんが大統領だった国。スペイン大航海時代の光と影が織り成す歴史と、未だ解き明かされない謎に満ちた数々の文明を有した国。アンデス、インカ、コンドル、フォルクロ−レ・・・、私にとっては、大いに、様々にイメージを掻き立てられる国です。でも、まだ浮かれてはいられません。一緒に参加するヒトを探さなければ・・・。先ず行き先を決定、ついでに催行も決定していないと、オチオチ人も誘えません。今回の旅のパートナー、相棒は高校時代の同級生・N嬢に決定。同級生と言っても、私とN嬢は卒業以来、昨年再会するまで十ン年、全く音信不通だったという、誠に不思議な間柄。お互いの消息は、それぞれ人伝には聞いていたのですが、再会以降、たまに会うようになり、今回の運びとなったのでした。旅行は兎角お金の要ることなので、一緒に参加するヒトの人選には気を遣います。それに、同じ部屋で何日も過ごすことになる訳なので、そんじょそこらの方はお誘い出来ない。ましてや、帰国してから仲が険悪になったりするようなのでは困る・・・。そんな条件を、見事にクリア(?)したN嬢。相棒を物色する際、大抵の女のコは「えーペルー〜〜!?」などと、先ず難色を示しそうなものかと思っていました。煌く黄金文化が花開いた南米地域ですが、どう考えても、女のコが好きそうなヨーロッパ文化や芸術のゴージャスさには負けてしまいそうですから。ところがこのN嬢、中々のツワモノ。私のお誘いの返事に曰く、「希望としては、ツアーの動線上にあるならば、ペルー+ガラパゴス諸島もしくはイースター島を付けて貰えれば有り難い。」ですと。N嬢の頼もしい快諾の返事を読みながら、ここまでセットになっているツアーは、販売しているとしても、およそ一般大衆向けではないと思うけどナ、と独りごちた私なのでした。
 

 旅程編
 気が抜ける程、スンナリと相棒も決まったペルー行き。大まかな旅程は、以下の通りでした。
旅行日数:9日間(2003年8月23日〜31日)
主な訪問先:リマ(首都)・クスコ(嘗てのインカ帝国の首都)・マチュピチュ(謎の空中都市として有名)・プーノ・チチカカ湖・ナスカ(言わずと知れた、地上絵が観られる)添乗員・全観光・食事付き(但しナスカの地上絵はOP。でも、あそこまで行って、アレを観ない人もいないのでは、と思っていたら、実際ツアーの中に不参加の方もいて、一寸驚きましたが)。
 旅行代金は、OP代金、現地の空港使用税が更に加算されたので、大分かかってしまいました。旅行社に代金を確認した際、予算オーバーかなあ、と思ったものの、しかし!他社のペルーツアーと比べると、少なくとも価格面において、断然お徳な額。他社では、ナスカ行きも込みで代金設定しているものが多かったのですが、それで比べても、我々の参加したツアーは、日程が良い割には安い。ひょっとしたら、同時期出発のヨーロッパツアーよりも安かったかも知れません。前篇で、行き先にこだわりや思い込みが無い、と書きましたが、これは決して何も考えていない、という意味ではありません。むしろ、行ってみたい処は数知れず。ペルーも、是非行ってみたい場所の一つではありましたが、費用面での折り合いが付き難い処として(=高い。でも、渡航距離を考えればそれは当然のこと、という理解はあります)、少なくとも「今」行く処ではないかな、と思っていました。まさかこんなに早く実行してしまうとは、自分でも意外でありましたが、ハテサテ、どうなりますことか・・・・・。

 情報編
 取り敢えず今年の夏休みの処遇も決まり、ホッとしたある日。N嬢から一つの疑問が寄せられました。
「ペルーは死ぬまでに一度は行ってみたいと常々思っていた処だけれど、ただ一点、治安はどうなのだろうか?」うーむ、治安ねえ・・。確かに仰る通り。しかしペルーは今の所(2003年7月時点)SARS感染区域からは外れているし、世界中で危険の無い地域なんて、そう無いし・・・。私のペルー行きを聞いて、数年前の「ペルー日本大使公邸人質事件」が頭に浮かんだ方もいらしたに違い無いでしょうが、最近はその記憶も薄れがち。武装闘争グループ「センデロ・ルミノソ(略称SL。輝く道の意。毛沢東思想に影響を受けたゲリラ組織)」によるテロ事件も、遠く離れた日本ではあまり聞こえて来ない。それでもこの辺については、外務省安全情報から引き出せば成る程、未だに地域によって非常事態宣言は発出されているは、治安部隊によるSL掃討作戦についての報告が見られるは、で不測の事態が起こらないとは必ずしも言えないのが、ペルーの現状だと解ります。私は元々、安全と時間を買う意味もあり、特に海外旅行はツアー利用が殆どですが、ツアーなら全く問題無し、とは当然ながら思っていません。こんなに分別を持っている(?)私なのに、どうも傍目には、私は少しでも時間があると処構わずウロチョロ歩き回って、何とも危なっかしいと見えるらしく(実際その通りですが)、家人からは妙な事件や被害に遭わぬよう、くれぐれも自重するように、と釘ばかり刺される始末。だから、という訳ではありませんが、珍しく(キャッシュカードのではない)保険にも入り、高山病対策も兼ねてトレーニングジムにも通い、と着々と準備を進めて行きました。安全情報の他にも、ガイドブックやペルー関連の書籍も、集めるだけは集めるのですが、例によって旅前はいくら資料に目を通しても頭に入って行かないテイタラク。これは後で勉強するしかないと諦めました。
 ところで、お互い勤めをしていることもあり、出発前まで一月以上顔を合わせることが出来なかった、私とN嬢。出発が近付いた頃、N嬢から或る「情報」が寄せられました。「マチュピチュに温泉があるらしいから、水着を持って行く〜。」  私も一応、水着を荷物に加えたのは言うまでもありません。

 装備編
 恐らく誰でもお持ちでしょうが、私にも幾つかの、旅に関するジンクス、というものがあります。その一つは「出発前の最後に荷物に放り込んだモノが、その旅行で一番役に立つものである」というもの。今回もドンピシャリ!でした。果たしてそのブツとは。それはレッグウォーマーでした。出発当日、スーツケースに鍵を掛け、サア、という時に母が機内は結構冷えるわよ、と(以前私が母にプレゼントした)レッグウォーマーを持たせてくれたのでした。何気なく受け取ってカバンに入れたのですが、これが大重宝。
 機内は勿論、日本と季節が逆の南米ペルーにおいて、寒いという感覚を忘れていた身には、とても有り難い品となったのでした。確かにレッグウォーマーは盲点でしたが、今回の行き先は南半球なので、自分なりにも考えて冬仕度を整えて行きました。丁度、昨年スリランカのツアーでご一緒だった方が、数年前にペルーへいらしたということで、色々アドバイス頂いたので、それも大いに参考にしました。
 アドバイスでも例として挙がっていたのですが、一見熱帯のイメージのあるスリランカでも、山を幾つか越えただけで、高地と低地では信じられない程の温度差が生じます。実際、自分も蚊取り線香と同時にストーブを焚いた経験がありましたから、その時のことを思い出しながら、荷造りをしました。服を持って行き過ぎないように、組み合わせを考えて詰めるようにしていても、毎回人様よりモノが多い私。しかも悪いことに、冷夏に見舞われていた日本も出発前数日になって急に、挽回するかの如く酷暑が続いた為、彼の地もひょっとして暑いかも、とツイ勝手に思い込んでしまったのが、失敗の巻。セーター、フリース素材の服、重量を考えてシルクのダウンコート、カイロ・・・、とここ迄は良かったのですが、加えて結局は着なかったTシャツ数枚等、やはり余計な荷を作ってしまいました。そんな私と対照的だったのが、N嬢。出発当日、成田空港で落ち合ったN嬢は、ノースリーブ・ニットに膝丈のパンツ姿。手にしているジャケットは、明らかに冬用のそれではナイ(且、荷物は私に比べれば少なく、軽い)。そして機内は、アラスカ方面を廻って、更に南下(赤道越え)して行くルートの為、成田→ヒューストン(米)、ヒューストン→リマ間共に、涼しいを通り越して寒かった★ 当然の結果として、機内で脚を冷やしたN嬢でしたが、生憎同じく私も寒かったので、残念ながら今回のジンクス品であるレッグウォーマーは、私の脚に履かれていたのでした。それではどうしたのか、と言うと、そこは旅の知恵(??)。無ければ何とかする、という主義である私の提案で、枕やシーツを包装していた大きなビニール袋を脚に巻きつけ、N嬢は何とか冷えを凌いだのでありました。

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